ヘーゲルの「自由の相互承認」との出会い

philosophy

私がヘーゲルの「自由の相互承認」という言葉を知ったのは、哲学者の竹田青嗣氏の著作からでした。それまで私は、哲学に全く興味はありませんでした。


それまでも背伸びして哲学書にトライしたことはありましたが、難解な哲学用語の羅列を読み進むのは苦痛以外の何物でもありませんでした。初めて読んだ竹田氏の本は本当に分かりやすかったなあ。

竹田氏の本は「哲学は今の混沌とした世界を変える力を持っているのかも知れない」という希望を持たせてくれました。「自由の相互承認」を知ってから私は哲学を本気で勉強してみたいと思うようになりました。

「自由の相互承認」について詳しく知りたいと思い、私は竹田氏の弟子を自認する苫野一徳氏のオンラインサロンに参加しました。苫野氏も難しい哲学を平易に説明することを大切にする哲学者です。


竹田氏、苫野氏らは「自由の相互承認」の実現可能性の根拠として、フッサールの「現象学」「共通了解」を論拠としていました。そして「共通了解」にいたるステップとして、苫野氏は「本質観取」という哲学対話を大切にしていました。

オンラインサロンでは、苫野氏の教えを受け、サロンに集う哲学に関心を持つ多くの仲間と語り合ったものです。彼らは、それぞれ課題と問題意識を持ち、その解決手段として哲学に可能性を見出している人たちでした。今はそのオンラインサロンからは離れましたが、時に懐かしく思い出します。

最初は強く惹かれた「自由の相互承認」ですが、次第に私の中に大きな疑問がわいて来ました。それは「自由の相互承認は本当に実現可能なのだろうか?」という疑問です。その疑問を次の投稿で述べたいと思います。

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