哲学は約2,500年前に古代ギリシャで生まれたと言われています。この頃の哲学はソクラテスの対話法からも分かる通り、ソフィストたち論敵との論戦を通じて「言葉の厳密な意味」を突き詰めていくことが大きな目的でした。その頃はアニミズム的な原始宗教は存在していたものの、キリスト教・イスラム教・仏教といったいわゆる「世界宗教」はまだ誕生しておらず、宗教が哲学に強い影響を与えることはあまり無かったと思われます。
その後キリスト教が広く普及したことにより、西洋社会の人々の生活は「神」に律されることになります。そしてその「神」を正当化する思想が中世ヨーロッパで哲学の発達を促していきます。神と真剣に向き合う中で「スコラ哲学」などの哲学は強靭に鍛えられていきました。
しかし教会権力が絶対的な世界の中で、多くの哲学者は「神」の制約から完全に自由であることは出来ませんでした。そのことを指して、苫野氏は「時代の時代性」という言葉をよく使われます。どんな思想もその時代の制約から完全に自由であることは出来ないが、それをもって彼らの思想のすべてを否定すべきではないと。
デカルトやカントなどの哲学界の巨人たちですら「神」から自由ではありませんでした。哲学が「神」を完全に否定するのは20世紀初頭にニーチェが登場してからです。西洋哲学と言われるものは二千数百年にわたって「神」をその中に引きずり続けてきたわけです。
さらに言えばカントを始めとする多くの哲学者は、女性差別的、人種差別的な思想を持っていたとも言われています。それもまた「時代の時代性」であり、今の時代に彼らが発言していたらきっと大炎上を巻き起こしていたことでしょう。
西洋哲学が対峙してきたキリスト教の「神」は、日本の神道で見られる「神」の概念とは全く異なるものだと感じます。八百万の神は、ギリシャ神話やローマ神話に登場する人間味あふれる多くの神々に親和性が高く、キリスト教の「唯一絶対神」は日本には存在していたのか私には疑問です。
天照大神は確かに位の高い太陽神ではありますが、多くの神々の中の一人という位置づけです。また日本には万世一系の天皇が存在しますが、天皇は「現人神」でありキリスト教の抽象的な「神」ではありません。
古代から江戸時代までの日本を貫いてきた宗教的概念は神道・仏教・儒教であり、西洋的キリスト教は日本ではほとんど存在感を持ちませんでした。そんな日本で、キリスト教の「神」との対峙の中で成長してきた西洋哲学を学ぶ意味はどこにあるのか。それが私がずっと持ち続けてきた大きな疑問です。
しかし「日本人が西洋哲学を学ぶ意味」を分かりやすく説明してくれる哲学者に私は今まで巡り合うことはありませんでした。多くの日本の哲学者はそれぞれ専門に研究する哲学者や研究分野を持ち、ある特定の哲学者の「解説者」として評価されている方々が多いように感じます。それは日本のアカデミズムの仕組みとして、学者として評価されるためのお約束として仕方のないことなのかも知れません。
そんな時、私の中にふと次の疑問が生じました。
「西周が日本に哲学を紹介した時、彼は一体何を考えていたのだろうか?」
幕末の津和野藩の儒学者だった「西周」が「哲学」という言葉を作り出したことは広く知られています。彼は幕末の動乱期にオランダに留学する機会を得て、そこで西洋哲学の思想の数々に出会います。彼以前にも、渡邉崋山や高野長英らが西洋の哲学を日本に紹介していましたが、本格的な哲学の研究者は西周がその代表と言えます。
なぜ儒学者だった西周は西洋哲学に惹かれたのか?
儒教に対して何らかの閉塞感を抱えていたのか?
哲学を日本に導入する喫緊の必要性をどこに感じていたのか?
日本の近代化のために哲学がどう役に立つと考えたのか?
一部の経済人は「儒教(論語)」を近代化の拠り所としたが、彼はなぜ「哲学」だったのか?
日本の哲学のパイオニアとして、哲学を日本に紹介した西周の遍歴を研究することは、きっと私に多くの示唆を与えてくれるに違いない。私は今、そう確信しています。
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